自ら責任ある業務に挑戦し続けた。新規店の店長を経験して「人の育成」に気づきを得た。
成宮 英明 32歳[1994年入社]
<部署>外食事業部 <役職>マネジャー
■仕事内容
担当店舗のQSCSA向上と競合店対策による適正利益の確保、店長・社員の日常業務に関する人材育成、緊急事態の対応、本社と店舗と本部の情報共有のための報告・連絡・相談
<出身校>京都学園高校
<学科>普通科
◎社会に出るまでに熱中したこと
ボーイスカウトに所属し、礼儀や協力の大切さを勉強し学生時代に続けたサッカーのチームワークに活かした。
23歳
一度は退職した元廣に再就職
人の管理の難しさから1年で退職したが、仲間たちと共に働く喜びを求めて再就職を志願
24歳
店長を目指して自主的に動く
自ら店長代行となり、他店の同僚たちから業務を学んで行く。異例の抜擢で店長に昇格
25歳
新規店店長に立候補で就任
新規店のオープニングで自信を打ち砕かれても、周囲に支えられながら大切な気づきを得た
軽い気持ちで元廣に入社して、人の管理で壁にぶつかると1年で退職した。
将来の夢が見えず、飲食店などのバイト中心に過ごした高校時代。軽い気持ちでツアコンの専門学校へ進み、就職先がないと知ると半年で退学、20歳までと決めてのんびりフリーター生活を送った。ただ、中2のとき急逝した父に遊んでもらった記憶がなく、「僕は結婚したら子どもとの時間を大切にしよう」と思っていた。

20歳になり、バイト時代に最も楽しく働けた「びっくりドンキー」が社員の募集をしていることを知り、面接を受けて元廣に入社した。ところが勤務シフトの調整を任されて取り組んでみると、バイトたちは土日出勤に簡単には協力してくれない。「俺は社員なんだ…」と初めて人の管理の難しさに直面、電話をくれた上司の声を聞いて涙がこぼれた。そして1年後、「子どもができても土日の行事に出てやれないし…」と、上司の説得も振り切って退職した。

しかし土日休みで残業のない転職先に同世代はおらず、仕事も任せてもらえない。すぐに「元廣に戻りたい…」と感じても決断できない1年。孤独な出張から戻ってきた京都駅で、思わずかつての上司へ電話を入れた。

元廣に再就職できたことが嬉しくて、率先して店長代理を務めて売上を伸ばした。
「土日に休みたいなら、努力してそれができる役職にあがるか、自分たちで環境を作ればいい」と、過去を不問にして再入社させてくれた上司たち。「もう辞められない。まずは店長だ」と目標を決め、以前苦しんだシフト調整をいきなり任されても喜んで引き受けた。40人のスタッフ一人ひとりから地道に要望を聞き、ときに食事に繰り出して気心を通わせる。すると今度は「よく考えて作ってくれてる!」と喜ばれ、次第に難しい業務も引き受けてもらえるようになった。

1年後に異動した店は店長不在で営業すると聞いて、「僕が代理をやります!」と即座に手を挙げた。シフト表の横に「今日は一人足りないので力を合わせましょう!」などといつもコメントを加えて一体感をつくる一方で、他店の店長に教わって自分なりに損益計算書を作ってみたり工夫を重ねる半年間。そんな姿勢が認められ、経験も浅いのに店長試験を志願すると受験を許されて新入社員の頃の後輩たちと一緒に合格した。
店長になると、スタッフの疲れを和らげようと求人予算を任せてもらって人員確保し、やがてその店初の月間2000万円を売り上げた。頼りになるバイトたちから誕生日祝いも山ほどもらって充実の日々を送った。

初めてオープニングの店長になり、予想以上の混乱に見舞われて逃げ出したくなった。
同時に「土日に休めるマネジャーになるにはオープニング経験が必要だ」と、新規出店のたびに休日返上で自ら手伝いに出かけていた。25歳には立候補で新規店の店長を引き受け、先輩から助言ももらわず自信満々で着任した。

ところがその開店が間近に迫っても、同時に40人もの新人バイトへの指導がうまく浸透しない。オープン後にお客様の行列ができても、片づけや配膳が追いつかなくて入店案内もできず、苦情に追われる毎日。
しかも、バイトが辞めるたびに自らホールに立たざるを得ず、滞っていく事務作業をこなすために休日もなく働き、たった4時間しか眠れなくてもその夢にまで仕事が追いかけてきた。「考えが甘かった。もう明日は店を開ける自信はない…このまま逃げ出したい…」という思いが脳裏をよぎり、初めて胃に痛みを覚えた。

それでも「期待は裏切れない」と店に出続けていると、上司たちが入れ替わり立ち代りに店を手伝ってくれ、他店店長たちは「いつでも人を回すよ」と快く言ってくれる。そしてある日の夜、ピークを過ぎた店内をふと見渡すと、自主的にトイレチェックをしたり、オーダーミスを格段に減らして頑張っているバイトたちの姿が目に入った。「俺が付きっ切りでなくても、みんな自分で成長していくんだ…」。そんなことに気づいた。

27歳でマネジャーに抜擢されて次の成長を目指す。部下の働きやすい環境作がしたい。
「俺も負けられない。もっと勉強しよう」と、自店で進んで新入社員教育を引き受け、大人数への指導法を磨き、FC本部が主催するセミナーに熱心に参加した2年後に、27歳にして同期で最初にマネジャーに抜擢された。

4店舗を担当して事務作業や外部業者との折衝などの新たな業務に取り組む日々。ポスター作りや、スタッフが足りないときの手伝いしかできない1年を過ごし、FC本部のセミナーで、人の本来のやる気を引き出す「コーチング」の技術に出合った。人が自ら育っていくことを学んだ新規店店長のときのことが思い出されて、本や新聞で研究し、外部セミナーに参加して知識も増やし、店長自身に気づかせる指導を重ねて行く。本社で行う勉強会では講師として自分自身の言葉で社員たちに語りかけ、次への成長を目指す日々を送っている。

学校でもTVドラマでも、人への優しさに共感を覚えた少年期。1日も欠勤しなかった父の姿を見習って地道に働き、スタッフたちの気持ちを考えながら店を作っていった。同時に自ら責任ある業務を任せてもらい、上司や同僚に支えられて成長を重ねてきた。そして今は、小学校に通う子どもの運動会や授業参観に参加し家族との時間も取れる働き方を実現している。今後は、新業態の開発で店舗数を増やしたり、本社で新しいサポート部隊を作るなど、後輩たちが何歳になっても力が発揮できる場を作って行くという目標へ突き進みたい。